青ちゃんのプライベート暮らし

8月2日(火)から7日(日)ベースキャンプ1

8月2日(火)

大地サマーキャンプの掟

①野外で寝るべし

②食事 風呂等は、全て薪燃料を使うべし。ガス、電気は一切使用せず

③電気は、夜間のトイレ以外は 使用せず

④食事材料は、90㌫以上、大地産を使用すべし

⑤着替え 風呂 整理整頓などにかけるエネルギーは、わすれるべし

⑥自然の流れをともだちにすべし

⑦参加者は、年齢 地位 職業 役職 年収等をとわず 平等であるべし

午後一時 子ども達が集合し、くだらない!?おおぼらのオリエンテーションが始まり、そのまま、夕食の材料の収穫へ。今回は 5泊6日の長期にわたるキャンプに、大勢の子ども達が参加している。収穫後、全員で ご飯炊き 調理、仕込みと延延に楽しむ。大地のキャンプは、まさに 食う為に楽しむと言う感じで、ひたすら作り続けることが多い。竈でずっと調理をし続け、最高の肉じゃがや味噌汁 漬物 トウモロコシ スイカなどがたっぷり並んだ。大地の環境をたっぷり楽しみ、遊び、午後八時、暗闇とともに、芝生に寝床を作り、星を見ながら、ノンタン母さんのお話を聞いて就寝。

 

 

8月3日(水)

朝四時起床というよりも、明るくなるとともに自然に起きる。朝の冷たい冷気を楽しみ、それぞれ自由に遊び、六時過ぎから、竈に火が入り、朝食。午前中は、お昼のうどん作り。三台の製麺機を使い、グループ毎に、うどん作りを楽しむ。もちろん、昼食は、素晴らしいうどんを堪能した。午後からは、天気が崩れだした為、大地でたっぷり思い思いに遊ぶ。夕食は、大地産の野菜の天ぷらを揚げての天丼。約2時間たっぷり、とんでもない量の天ぷらを揚げ続けた。おまけに、ほりたてのジャガイモを使用してのフライドポテトのおやつ付き。夕食を楽しんだ後、天気を気にしながら、昨晩に引き続き、芝生の寝床で眠りにつく。

8月4日(木)

深夜〇時、雨が降ってきたので、屋根付きのガンガー(東屋仕様の台所)やガレージに避難。どんな雨でも室内には入らない。3時50分起床。昨晩から、皆水着を着て就寝したほどの楽しみな海水浴。それも、大地の海水浴は、朝六時から泳ぎ、酷暑になる11時前には終了する。寝ぼけ眼のまま、バスへ乗り込み、5時半過ぎには、日本海到着。もちろん 誰も居ない静かな海。雨はぱらついているが、最高のコンディション。思う存分泳ぎまくる。おにぎり 焼きそば スイカなどを食べながらたっぷり遊ぶ。見事な虹が架かる。12時に大地へ戻り昼食。午後は、災害級のとんでもない雨降りとなるが、室内避難はせず、ガンガーでひたすら皆で遊ぶ。友達との距離が狭まる。夕食 そしてパンの仕込みをする頃には、小雨となる。スタッフの誕生日を祝ったあと、まだ雨模様であったので、皆で東屋で眠る。

8月5日(金)

雨も止み、5時前には起床。昨晩仕込んだパン生地を成形して、新築完成したばかりの新東屋で、石窯に入れてパンを焼いた。素晴らしい朝食を味わう。朝食後、森を散歩し、蛇を見つけたり 用水路で遊んだりしてから、大地でおにぎり昼食。午後は、スロープに、ブルーシートを敷いて、芝生とのスライダーをたっぷり楽しむ。そのまま、五右衛門風呂を満喫して、夕食のカレーをたっぷり食べて、くたくたに疲れて、野外で就寝。

 

8月6日(土)

爽やかな目覚めとともに、朝の散歩に出かけ、日の出を堪能。朝食後は、再びパン作り。今回は、自分の好きな形のパンを作り、大型の石窯で一気に焼き上げた。昼食は、自分のパンを食べて楽しむ。昼食後は、川遊びへ。ロープをはったりして、緊張感抜群の川遊びを堪能。戻ってきて、五右衛門風呂でたっぷり遊んだ。最後の夕食は、ディナー風。大地産のジャガイモをたっぷり使ったポテトコロッケ。竈で丁寧に揚げて、素晴らしい数のコロッケができあがった。コッヘルではなく、お皿に盛り付けて、美味しい夕食となった。夕食後は、恒例の肝試し。本格的に、真っ暗な森の中を歩いて、青山家のお墓まで行ってくるという恒例行事。まさに、これ以上の環境はないという自然な肝試し。最後の夜は、まったりと芝生の寝床で過ごし、午後9時就寝。

8月7日(日)

最終日の朝。5時前には起床。ちらし寿司の朝食、そして、お昼の流しそうめんの為のうどん作りを再び楽しむ。そして、恒例の最後の流しそうめん。言うまでも無く、大地の流しそうめんに、皆興奮して、時間を忘れて楽しんだ。午後1時、終了解散。

 

5泊6日。お天気が不安定だったが、皆、掟を守り、無事に乗り切った。

世界が戦争等で不安定な中、それらの発端は、ほとんど資源やエネルギー問題が根底にあるように思われる。それなら、少しでも、エネルギーに左右されない暮らしを心がけよう、60年ぐらいまでは当たり前に行われていた暮らし、そんな思いで、大地のキャンプを楽しんでいる。

現在は、大人が過剰なほどに、子ども達に遊びや楽しみをプランニングしてあげている。退屈は想像力への入り口である  何も与えない中で、彼らは、楽しみを見つけ出していくだろう、想像力を自分で駆使して。