青ちゃんのプライベート暮らし
6月12日(月)から6月29日(木)結婚40周年 思い出のヨーロッパを周遊する 当時の旅行のまま
40年前の2月、夫婦で約一ヶ月、今で言うバックパッカー(当時は、スーツケースを持参したが)スタイルで、ガイドブックを片手に、ユーレイルパス(一ヶ月間列車の一等席乗り放題)を駆使して、ヨーロッパを周遊した。ガイドブックの目的地の駅で降り、インフォメーションで安宿を見つけで☎して予約し、荷物を駅に預け、歩いて、その宿を見つけて、そこを拠点にして、歩き回るスタイル。スマホなどない時代だったので、全てわからない事は、人に聞いて歩き回った。行き先も食べ物も全て。もちろん タクシーなどは使わずに、現地の乗り物を駆使して歩き回った。
40年前の記念写真を片手に、今回は、そんな場所を訪ねながらの旅。たぶん 欲深い夫婦、きっと同じように 朝から晩まで貪欲に歩き回るだろう!!
当時と違うのは
①インターネットを駆使して、周遊路線 飛行機、宿 ホテル ユーレイルパスは、全て 事前に格安な場所などを見つけ、予約した。まさに 旅行代理店並に、ツアーを組ん だ。
②石畳を歩く事が多いので、登山並みの90リットルのザックを 2人でそれぞれ担ぐことにした
③無用の長物だったスマホの使い方(ユーレイルパスやホテルの予約など)をマスターした。現地の支払いは カード(たぶん 当時は、トラベラーズチェックか現金だった)
④妻の仕事上の思い出の地を訪ねたり、美術館 コンサートなど 芸術的なことを楽しむ
⑤現地でしか体験できないこと(食べ物を含め)には、最高の投資をする
旅行トラブル!!(だから面白い)
①せっかく学んだスマホが シムのトラブルで 現地ではWIFI以外使えないことが判明。ホテル 電車内 レストランのなどのフリーWIFIを使いまくる
②リュックの中で、現地の安物のペットボトルが破裂。デジカメが水没。三脚でのツーショットが撮れず(現地でもデジカメ持参する人は誰もいない 全てスマホ撮影
③衣類持ちすぎ。予想外に暑かった。長袖 雨具 ドレスコード類は必要なし。下着2枚 Tシャツ2枚 薄い長袖長ズボンだけでOK。まさに大地のキャンプ並み。持参した4分の3は必要なし。これが、最後には25キロ近いザックを背負うことになる。(宿で2日に一回洗濯 乾燥しているので乾く エアコン無し)
④終盤 宿にスマホの充電コードを忘れる。同時に、100グラムでも荷物を軽くするため、早まってガイドブックを破棄してしまう
⑤事前予測通り、電車が遅れる
6月12日(月) 大地発3時 成田発10時35分最終便でワルシャワ経由アムステルダムへ
出発のザックの重さ 青ちゃん15キロ 妻8キロ。牟礼駅から東京へ。いつもは、格安バスだが 久しぶりに新幹線で東京へ。(もちろん 新幹線は30㌫OFF の格安チケット) 片手には 夕食用のお弁当を持参。東京駅からも格安バスで、成田空港7時着。
空港に着くと 妻は俄然更に元気になる。やはり 当時の仕事を彷彿させる思い出の場所だからか。チェックインして ロビーで夕食。最後の家庭日本料理のお弁当を味わう予定が、箸を忘れる。近くのマクドナルドなどで箸代わりになるものを探すが、さすがの青ちゃっんも見つけられず、弁当の蓋を破いて代用。
空港最終便だけに、空港内は暗く人が少なくなり、寂しい雰囲気。しかも、ちょっぴりマイナーなポーランド航空。(直行便でなく、格安だった)。定刻通り離陸。三席横並びの二席だったので、リラックスできる席。12時間後 ワルシャワ着。ワルシャワは珍しいので、いきなり妻は 空港内でお土産を買いまくる。いきなり、荷物が増える。
6月13日(火) アムステルダム市内観光
40年前の場所
朝7時半(日本時間とは8時間の時差)ワルシャワ乗り換えで、アムステルダム9時半着。時差をものともせずに2人とも大興奮で元気。空港から早速現地のバスを見つけて乗り込み、姪家族の住む家を見つけて歩く。11時無事到着。疲れをものともせずに、これから市内へ出かけると言うと、その元気さに姪は驚く。スマホが案内してくれるから大丈夫だと、シムを入れ替えても反応せず。シム会社へ連絡したり日本へ連絡したりしても無理で、スマホがWIFI以外使えないことが判明!!
それでも 一息つく間もなく、姪の心配をよそに、早速2人でガイドブック片手に、近くの路面電車の駅から市内へ出かける。チューリップのお花市を見つけ、いきなり チューリップの球根やお土産を買い込んでしまう。初日からいきなり重いものが増える。それでも、姪家族へのお土産(米や味噌やお菓子類が減ったので大丈夫だろうと油断)続いて レンブラントの美術館を楽しむ。そして、妻の写真にあるアムステルダム中央駅の撮影場所へ。さすが ヨーロッパ 建物の重厚さは変わらない。初日から、足を棒にして歩き回り、トラム(路面電車)を乗りこなして、夕方7時 姪の家へ戻る。こちらは、10時過ぎまで明るい。10時就寝。
6月14日(水) アムステルダム 風車ザーンセスカンセス観光 ゴッホ美術館
右が40年前
右が40年前
大地と同じように4時起床。WIFI を駆使して、本日の観光ルート 内容 ポイントを研究。8時出発。トラム 電車を駆使して 妻の思い出の風車の町 ザンセスカンセスの町まで電車に旅。本当に風車の光景は美しい。40年前 妻が訪れた場所 写真を参考に見つけて歩き、とうとう二カ所を探し当てた。ほぼ当時のままで感動。ここでも、5キロほど歩いて回る。歩きながら、美味しそうな小さなケーキ屋を見つけ、一服してから、午後は、ゴッホ美術館へ。世界有数の有名な美術館で有り、予約必須であったが、ありがたいことに、姪の夫の会社がスポンサーで有り、その優待券を貸してもらうことができ、予約無し無料でVIP待遇で入館できた。妻は 三回目の訪問であるらしい。ここでも足を棒にして歩き回り見学。素晴らしい感動。昼飯を食べる暇も無く、貪欲に歩き回った。明日は ベルギーまでの移動なので、近くのスーパーで、おやつや飲み物を買い込む。
海外は円安の関係も有り、物価が高い。1000円以内で定食が食べれる日本は素晴らしい。ハンバーグと飲み物だけでも1500円は軽く超える。外食は 時間をかけてゆっくり楽しむ豊かな時間であり、これにお金をかけるのは当たり前らしい。うーん 豊かな考え!? 学校は ゆったりして勉強はあまりしないらしい、パジャマデイとなるものがあり、パジャマを着て登校、ゆっくり過ごすらしい。また、料理を家庭でする人は珍しいらしい。子どものお弁当(ランチ)も、パンにキュウリを挟んだものだけのものも珍しくないとのこと。姪の子どもたちは 3名いるので詳しい情報。
足をパンパンにしながら7時帰宅。持参したお米を炊いて、味噌を使い なすとタマネギの味噌炒めや卵どんぶりを妻が作り、美味しい日本食を味わってもらった。
オランダは 人口の数よりも自転車のそれが多い国。自転車道路が、車道と並行してある。子どもたちと夕方サイクリング。ちょっとそこまでと出発したが、その環境だけに、5キロ位走る羽目に。全く坂がないので、年長の子どもも簡単に走っている。とても気持ちが良い が、さすがに昼の歩きが足に来ている。9時バタンキュー。40年前と変わらず、いや大地と変わらず ハードで貪欲な毎日が始まる。
6月15日(木)ベルギー 中世の町 ブルージュへ
思い出の写真の場所
姪の宅で起床。スマホで本日のプランを計画。本日は、ベルギーへ移動 中世の町 ブルージュで一泊する予定。妻は 台所で昼食用のサンドイッチ作り。青ちゃんは 姪の子どもと朝の爽やかなサイクリングに出かける。大地と同じような生活の一コマ。名残惜しい別れ。ありがたく感謝のスタートだった。本当にありがとう!!
8時出発。路面電車と電車を乗り継ぎ ブリュッセル経由で、ブリュージュへ12時半到着。予約していたホテルで予約なしと言われあたふたしたが、何とか決着がつき、無事チエックイン。旧市街の真ん中で、便利な場所のホテル。息つく暇もなく、早速街へ出かける。教会 修道院 マルクト広場 全てが 中世の町そのまま。ゆっくり味わいながら歩く。妻は 40年前 母親と一緒にここを訪れているので、その思い出の場所を写真片手に見つける。美しい運河巡りを楽しむ。この船の船長さんがとてもフレンドリー。40年前の写真でどうしてもわからない場所が一つあったので、この船長さんに聞いて見ると、たぶんここだろうと教えてくれた。そして、その後、偶然 店先で絵はがきを見つけ、そこにも、その写真の場所があった。間違いない、明日の朝 そこを訪ねてみることにする。夕方、美しいライトアップされた場所でディナー。どこでも ホテルやレストランの外で、すてきなテーブルが並べられて、そこが食事テーブルとなっている。一番前の良い場所で本日の夕食。オランダはもとより、ビールで有名なベルギー。どこでもかしこでも、朝から晩までビールを飲んでいる。なんと、コーラなどよりもビールの方が安い。飲めない自分たちが残念でたまらない。が、すてきな場所で夕食を味わう事ができた。カリヨンの鐘 パイプオルガン 中世の家々 ホテルの窓からの中世の家並み。素晴らしいブリュージュの夜。
6月16日(金)ブリュージュからアントワープへ
思い出の写真の場所
朝4時起床。窓を開けると、中世の景色 石畳 家並み 静けさ。この静かな街に朝から繰り出し、昨日の目的場所まで歩いて探していく。まさに予想通り。思い出の場所が見つかる。船長さんありがとう。これらのことも、スマホでは無く、人に聞いたから実現したこと。スマホが使えなくて良かった!! まさに40年前の旅の繰り返しだ。
静かな街をたっぷり歩き味わいながら、ホテルへ戻る。今回に旅で、唯一 朝食付きのホテルだ。格安ホテルだったので、期待せずに朝食会場へ出かけたところ、予想以上に豪華な食べ物。大地で食べるモーニングよりも格段上。近くのATMで無事ユーロを調達でき、重くなっていくザックを担いで、駅へ向かい、アントワープへ。電車の乗り換えで、スマホなくし事件(違うポケットに入れておいた)があったり、電車が一つ前の駅で乗り換えになったりヒヤヒヤしながら、無事アントワープ到着。予想外に、とんでもない大都会。昨日とは全く違う。若者には最高の街であるが、ちょっとがっかり。お目当ての美術館は長期休業。最高のフライドポテト屋を見つけ、堪能。フランダースの犬が飾られた教会へ。ここは素晴らしく、パイプオルガンが鳴り出し、祈りの時間に遭遇。ゆっくりした時間を楽しむ。その後、街角でマリンバの演奏に出会う。そして、その曲は 妻の大好きなタイタニックのテーマ。聞き惚れて、投げ銭を払う。早朝のブリュージュでの疲れも出てきて、駅近のホテルへ戻り、テイクアウトのサラダとパンだけで夕食を済ませ、梅干しで鋭気を養い就寝。
6月17日(土)アントワープからブリュッセル観光して、アントワープへ戻る
妻は5時過ぎまでぐっすり。青ちゃんは 相変わらずWIFIのあるホテルで今日のプランを研究。駅まで5分のホテルなので、急遽5時40分の電車に乗り、静かなブリュッセルのヨーロッパ一と呼ばれるグランプラス広場を静かに味わおうと決定。10分足らずで妻は用意して出発。相変わらず、大地のような生活スタート。小型ザックにペットボトルとカメラ三脚を詰めて、駅まで歩く途中、背中でプチと音がする。みるみるうちに背中が冷たくなり、開けてみると安物のペットボトルの蓋が取れ、水浸し。そこにはカメラが水没していた。と言うわけで、デジカメは完全水没機能不全。これで、三脚によるツーショットは撮れないと落ち込む。しかし、スマホにセルフタイマーがある事がわかり、これ以降、スマホに支え代わりにガイドブックや眼鏡や帽子を駆使し、そして、人に頼んだりしながらの旅が始まった。
予想通り、誰もいないグランプラスは素晴らしい。見事な建物が周囲をくるんでいる。そして、これまた隣の有名な小便小僧を見つける。さすがに誰もいなくて、静かに見とれる。タンタンの生まれ故郷だけに、あちこちにタンタンの出てくる絵が、建物に描かれている。朝から開店している自然派レストラン(調査済み ドイツを中心に有名なBIO製品を扱う)で、スープやジュースやケーキやパンで静かなモーニング。静かな教会を巡りながら、王立美術館へ。ブリューゲルやルーーベンスの絵に感激する。お昼は、待望のブルュッセルワッフルを堪能する。グランプラスはとんでもない人だかり。朝来て良かった。隣接のタンタンショップでまたまたお土産を増量してしまった。そして、ベルギーは、海鮮料理が有名なので、その場で調理してくれる海鮮市場レストラン(調査済み ガイドブックとネットと口コミでお勧め場所を検索している)を見つけて到着。エビのクロケットや貝や海鮮を堪能した。もちろん、全て野外の居酒屋風な場所。その後、隣の教会で、合唱の練習をしている人達の歌声を満喫。夕方7時過ぎ(もちろん10時まで明るい) 大盛りのフリット(フライドポテト)を食べ、スーパーで、明日の長距離電車内で食べるおやつなどを調達してホテルへ戻る。連日 教会を訪問しているので、スマホで キリストの生涯やキリスト教を夜学ぶ。
6月18日(日)アントワープから 憧れのラプンツェルの古城ホテル トレンデルブルグ
別れ
都会のアントワープに別れを告げ、7時電車に乗り、本日は午後2時半までの電車の旅。4つ乗り継いでいくので緊張する。最後は、タクシーを手配しているので、遅れるわけにはいかない。目指すは ドイツの古城ホテル。40年前に泊まった古城ホテルは予約が取れなくて残念であったが、今回は、はるばるドイツ北東部のラプンツェルの古城ホテル、そしてハルツ地方の木組みの家々 そして妻の憧れの魔女のブロッケン山を選択した。1時間もしたらブルュセル乗り換え。ここで列車が1時間遅れ。これから、電車は遅れるものだと理解し始める。全ての乗り継ぎが遅れることが判明し、車内のWIFIを駆使して、スマホで 翻訳機能を使い、タクシーの手配の変更手続きなどを行う。かなりツアコンの仕事が様になってきた。最大の都市 フランクフルトの駅に到着。待ち時間の間に、待望のソーセージやプレッツエルを満喫。その後 二度乗り換えて、静かな駅に到着。手配通り タクシーが待っていてくれた。古城ホテルは、たいがいへんぴな所にあるので、仕方無くタクシーは必要になる。10キロほど走り、待望のラプンツェルの塔のある古城ホテル到着。まさに古城、素晴らしいホテル。部屋は、3階の窓が2つもある部屋。ベッドには、美しい葉やキャンディなどがちりばめられている天蓋ベッド。眺めの良い素晴らしい部屋を用意してくれたらしい。到着は予定よりも2時間遅れだったので、すぐに荷物を置いて、おしろの見学に行く。塔に登り、ラプンツェルの気分になって妻は興奮している。足をまたまた棒にして、古城の雰囲気を堪能。部屋へ戻り、シャワーを浴びて、ちょっとおしゃれをしてディナーへ。古城は ドレスコードだと思っていたが、どこでも 半ズボンやサンダルで皆来ていた。せっかく持参したのだから着替えてレストランへ。素晴らしい景色と古城の石に囲まれたテラスで、フルコースのディナー。2時間かけてゆっくり楽しんだ。ビールやワインは飲めないので、ジンジャーエールで乾杯。ビーフコンソメのスープ パン 鮭のムニエル マッシュポテト ストロベリーいっぱいのアイスやデザート、この旅初めての本格ディナーを満喫する。午後9時半過ぎ、ようやく暗くなり始め、ライトアップされる。10時半過ぎ、ライトアップされたお城を見ようと外へ出ようとしたが、監禁されて、ラプンツェルは、深い眠りにおちた。
6月19日(月)ハルツ地方の街 クウェドリンブルグへ ある意味トラブル続出!
素晴らしい部屋 景色の眺め 4時過ぎには眼が覚めてしまう。外へ散歩に出かけようとしたが、まだ幽閉中。シャワ-を浴びたり日記を書いたり、今日の計画を立てたり。7時過ぎにようやく鍵が開く。美しい古城や周囲の小さな街(直径50㍍ぐらい)を散策。小さなパン屋さんを見つける。地元の人達が次々に入ってくるので、本日の列車内で食べるパンを調達。少しかじってみると、とてつもなく美味しい。ホテルへ戻り、待望の朝食。噂通り 噂以上の内容。ハム チーズ ジャムなどは8種類以上、ヨーグルトやケーキやパンなども数え切れないほど並ぶ。もちろん飲み物も。こちらも 明るいテラスで、食べきれないほどの量を、持ち前の貪欲さと欲深さで味わわせて頂いた。至福の時間。チェックアウトは11時なので(当初9時から11時へ変更 よって タクシーの手配も11時に変更をホテルへお願いした・・・・・・?) 食後もゆっくりすごし、古城ホテルを満喫。11時のお迎えタクシーで10キロ離れた電車に駅へ。満足して待っている間に、突然昨日乗ったタクシーの運転手さんが、血相を変えて駅のホームへ乗り込んできた。わざわざ見送りに来てくれたにしてはおかしい。ドイツ語でまくし立てている。横にいた英語のできる現地の人が通訳するには、迎えに行ったのに、俺のタクシーに乗らなかったから、迎車料金を含めて金を払えと言うことらしい。私たちは、あなたに頼んでいないし、全てホテルを通してお願いしたと伝えた(結局 ホテル側のミスであるが) それでも通じず、あたふたしているうちに、電車が来たので乗り込んだ。大騒ぎにもならず、追いかけられることも無く良かったが、後味の悪い結末。当初の予定を変更して、同じハルツ地方の小さな都市 ゴスラーで下車して、この町を見学することにする。魔女の町で有名な町。ハルツ地方共通カードを手に入れて、博物館や美術館を見学しようと足を棒にして歩いたが、日本と同じように 月曜日は軒並み閉館。ああ カードが無駄になっていく。それでも すてきな魔女のお土産などが手に入り盛り上がる。そして、再び電車に乗り、予定の宿泊場所二泊するアパートメントへ。こちらは、2DK の木組みのアパートメント(内部がマンションのようになっており、キッチンからリビングから寝室、ランドリーまで揃っている)だけに楽しみ。電車に乗り、しばらくすると、突然、トラブルでこれ以上先に行かないと言われ、下車。バスで勝手に行ってくれと。日本のように、責任をもって代替えバスなどを出すはずがない。疲れた足を引きずりながら、隣のバス乗り場で途方に暮れる。こんな時、スマホが使えたらと後悔している内に、何と 今回の行き先が表示されているバスが来るではないか 今いる場所もわからない中で、本当にそこなのかと聞いて見ると、どうやらそこらしい。天の助けとばかり乗り込み、初めてのバス乗車を楽しむ。1時間ほど揺られて、目的地到着。ヘトヘトに疲れながら、目的のアパートメントへ。ここで不安的中。フロントやロビーなどは無く、☎で案内されるらしい。(事前にスマホで案内が来ていたらしいが)
私たちのスマホは、こんな場所ではWIFIが無くて、連絡がとりようもない。しかも、8時近いので周囲には人通りが全く無い。近くの家のインターホンを鳴らし 【ヘルプミー」と助けを求め、ここへ☎してくれと頼む。嬉しいことに、隣のおじさんも出てきてくれて、☎通訳案内してくれて、30分近く皆で奮闘して、ようやく無人チェックインができた。日本から持参したツルヤのせんべいをお礼の差し上げた。くたくたに疲れた中、今朝買ったパンにジャムをつけてくたくたに疲れて就寝。いろいろあったが、我々の旅らしい。
6月2日(火)ハルツ地方 ベニグレローデ ブロッケン山を訪れる
昨日のトラブル続きの疲れもありながら、本日は6時出発の計画。青ちゃんは4時半に眼が覚めたので、一人で早朝のマルクト広場の木組みの町並みに見学に出かける。ところが道に迷い、帰りに帰れず(朝早いので、聞く人がいない)ようやく5時40分に戻る。当然 6時出発と知っている妻は準備できていると思いきや、疲れでぐっすり寝ている。慌てて起こして出発。当然天気は良いと油断していたところ、電車に乗ってベニグレローデに着く頃には、何と初めての雨降りではないか。せっかく苦労して持ってきた雨具 傘 防寒着は全く持参していない。宿に戻って持ってこようか、そうなると 今日の計画がほとんどできない 天気予報は お昼には小雨になりそう ここは大きな決断が迫られたが、ブロッケン山は標高1000㍍ ドイツで一番高いし、しかも雨。行くだけ行こうと決断をして、駅のレストランで 蒸気機関車出発まで1時間ほど、カフェタイム ドーナツとカフェオレで楽しむ。これから出かける魔女伝説のブロッケン山まで、蒸気機関車が普通のローカル線として走っている。これに乗って2時間の旅である。ここで日本語を学び 大井川鐵道の蒸気機関車にも乗っているオーストリア人夫婦と仲良くなり、蒸気機関車の説明を受ける。その後、素晴らしい景色を堪能しながら、2時間の蒸気機関車の乗り、ブロッケン山到着。途中から天気が回復して晴れ間となる。ラッキー!! 帰りも蒸気機関車を堪能して、2時半に街へ戻る。そして、お城見学。疲れた足を更に引きずりながら、周遊バスを見つけ、素晴らしい古城を見学。そして、マルクト広場で美味しいパフェを食べて一休み。大きなスーパーで、夕食の買い物をしたり、お土産を買ったりして宿へ戻るが、妻が買いたかった駅のお店が閉まってしまって残念そう。明日は8時半開店か!? 何とかできるかもしれない 不可能はない と思いながら、電車がまたも遅れて 帰宅は8時を過ぎた。キッチンで、ソーセージを焼き サラダを作り パンを焼き スープを作り、最高の夕食を味わった。
6月21日(水)古城ホテル ラインフェルス城
いよいよアルプステント泊縦走並みの毎日が続き、足の疲れは最高潮であるが、連日連夜の足のマッサージで何とか繋いでいる。本日も4時半過ぎに起床。静かなマルクト広場の木組みの家並みをじっくり味わいながら、街をたたずむ。その街の雰囲気を知るには、朝の街を散歩するのが一番良いと聞いたことがある。その通り、ゆっくり御散策しながら宿への帰り道に、昨日見かけた宿の近くのパン屋に寄る。出発まで30分強しかないのに、貪欲に楽しむ。ラテとコルネを注文して 僅かな一時 朝のパン屋の雰囲気はとても良いし、朝からお客さん達がこーひーを楽しんでいる。電車の時間を入れ替えて、妻の昨日行きそびれたお土産店に、8時15分に到着するようにして、無事お土産を手にいれる。いよいよ、最高のツアコンになってきた。
本日も、電車を乗り継ぎ フランクフルト方面へ戻り、待望の古城ホテル、ラインフェルス城。妻は 40年前に母親と泊まったホテル。ライン川を見下ろす最高級のホテル。こちらも、電車を乗り継ぎながら目的地の駅へ。元気だったら片道30分足らずの急坂を登るのだが、なんせ 背中のザックはお土産で20キロを越えているので、世の常通り、タクシー予約しており、5分少々で到着。もちろん、明日の帰りは徒歩で下ってくる予定。噂に違わず、素晴らしい古城ホテル。こちらもライン川を望む素晴らしい部屋。古城内を歩き回り、プールやサウナを見つける。早速 サウナにはいり休憩。このサウナも当時のような作りで、扇風機は手動などで味わい深い。隣では、プールが有り泳いでいる。残念な事に水着は持参していない。と言っても、ここで諦めない青山夫婦。明日の朝一番だったら、誰も泳いでいないはず。専用のバスローブがあるので、その下に下着を着けて、ぱっと脱いで泳ごうと考え、明日の朝実行予定。そして、待望のディナー。ここのレストランは、ライン川を見下ろす窓側の席をとるのが難しいという中で、直前予約だったので、無理だろうと思いきや、奇跡的に、その席に案内された。気分が盛り上がり、最高のコース料理を注文してしまった。人生最高のコースかもしれない。妻は大喜びで、最高のディナーを、ライン川を見下ろしながら楽しんだ。この旅 最高のクライマックスだ。部屋の戻り 暗くなりつつなるライン川を見下ろしながら、静かに旅を振り返る。そして、素晴らしい夜景が広がってきた。本当に素晴らしいドイツの夜。幸せに感謝して眠る。
6月22日(木)ドイツ 思い出の地 ローテンブルクへ
思い出の教会 こちらも思い出の時計台
妻はゆっくり6時半起床。青ちゃんは 今晩のローテンブルク情報を検索してプラン作成。すっかりWIFIのみで、スケジュール 見所 マル秘情報ゲットの毎日。妻の喜びそうなそして希望を完璧に実現することに喜びを感じる毎日。予定通り プールが開く7時前に行って、誰もいないプールで下着姿で楽しむ。妻は、泳ぎ大好きなので、張り切って泳いでいる。対照的に 水だけは苦手な青ちゃんは プールサイドでハーブティなどを飲んで、妻の楽しそうな様子を見ている。朝食前にしっかりとお腹をすかせ、サウナでからだを休めた後、待望の朝食へ。今回も、素晴らしい席を用意して下さった。朝食内容は、さすがに超一流ホテル。迷うほどのビッフェスタイル。10種類以上のハム チーズ クリームチーズに始まり パン ヨーグルト 珈琲 多種多様な野菜 鮭のマリネ ゆで卵 スクランブルエッグ シリアル ケーキ マンゴ パイナップルスイカグレープフルーツなどなど書き切れない 食べきれない こちらも2時間近く朝食を楽しむ。そして、すてきなお土産を買い込み、10時40分更に重くなったザックを担いで、ラインフェルスを後にする。本日も5時間の列車移動。電車も遅れて、乗り継ぎ変更しながら、6時前 思い出のローテンブルクへ。40年前、新婚旅行で、イタリアから北上してロマンチック街道に入り、泊まった場所である。駅前から歩いて行くと、事前情報で得たレストランの候補の一つがあった。重い荷物を置いて、このレストランで夕食にした。ポテト専門店で、ポテトピザとモッツアレラチーズグラタンを注文。予備知識通り、素晴らしく美味しい当たりのメニューであった。大満足して、今晩の宿を見つける。市街地の中のホテルは高価な中で、とても安いホテルがあったのでここを予約しておいたが、口コミ通り、場所は最高だが、チャイニーズレストランの経営ホテルだけに、民宿風の安宿っぽかったが、その中でも、静かなグレードの良い部屋だった。二泊するのだが、とにかく最高の立地なので満足。着いて早々、外へ。出て1分足らずで、思い出の写真の教会を発見。続いて、美しい夜景の時計台も発見。思い出のローテンブルクの夜を散歩して、ホテルへ戻り就寝。
6月23日(金)ローテンブルクにて思い出の場所散策
40年前の場所
妻は7時半まで久しぶりにゆっくり眠る。ツアコンの青ちゃんは、スマホとガイドブックで本日の情報チェック。8時行動開始。近くのパン屋さんで名物お菓子を頬張り、寒くなってきたので宿へ上着を取りに帰り、いよいよ最後の40年前の写真目的地を探しに、街の城壁を歩きながら見つける旅に出る。今回は 目印が無く、風景だけを頼りに行くので前途困難が予想される。歩くこと40分、見つからない。同じような光景のドイツであり、もしかすると違う場所かもしれないと諦めはじめたときに、ふっと開けた公園広場。疲れた仁尾でベンチに腰を下ろして風景を見ると、そこは まさに目指すべき写真の光景。凄い!! アングル的に(これまでは 全て 同じアングルポーズで撮ってきた)三脚もしくは誰かに撮ってもらわなくてはならない場所。朝早いので、人は少ない中、遠くにアジア系の夫婦発見。頼んでみると、同じ年頃の日本人夫婦。訳を話すと心よく引き受けてくれた。細かい注文を聞いて下さり、同じアングルで撮って下さった。すっかり仲良くなり、長野での知人を紹介して下さり、その後、二度ほど街で出会い、夕食も紹介した昨日のレストランで一緒になった。その後 博物館などを見学して、昼食。事前情報のレストランへ行くと誰もいなく、ここは人気レストランじゃ無かったの? と疑ってみたが、料理は、素晴らしく美味しく期待通り。その後、もの凄い込みようになった。妻は、その後お土産探しを楽しみ、その間 青ちゃんはマルクト広場へ。何と、朝とはうって変わって、椅子が並べられステージができて、そこでブラスバンドのコンサートが準備されていた。イギリス パリ ドイツ(ドイツではここだけ) ウィーンで演奏していくヨーロッパ縦断コンサートツアーに出くわしたのだ。慌てて妻を呼びに行き、2時から開始。こんな中世の広場で、野外でのコンサートは凄い。しかも無料。各国の有名な曲が次々に演奏され、最後は 妻の大好きなサウンドオブミュージックが演奏された。大感激の妻。終了後、その横のカフェで、地図ケーキレモンクリームパイなどでお茶を飲み、感慨にふける。その後、駅前のスーパーに行き、お土産のBIO製品を買い、更に荷物が重くなりそう。帰りがけに、昨日食べたレストランに寄って夕食。昨日は野外だったが、今日は天気がぐずついていたので、すてきな室内での夕食となる。妻は ずっと食べ続けていたので、ジャガイモのスープとサラダ 青ちゃんはしっかりと名物のお肉を頂いて、2人とも満腹でふらふらになりながら、疲れた足をマッサージしながら眠る。本当に よく毎日 朝から晩まで歩く続ける2人である。
6月24日(土)ドイツに別れを告げて、チェコのプラハに入る
いよいよ旅も終盤。ここまでは順調に来ている。いよいよドイツに別れを告げて、チェコのプラハを目指す。プラハの滞在は1日のみであるので、素早い貪欲な行動が必要で、事前情報通りいくことを祈る。順調に乗り継ぎ、車内ではWIFI を使い、本日のプラハ城見学チケットや教会コンサートやマリオネット劇場の手配を行っていく。マリオネットだけは手配不能。そうこうするうちに、プラハ午後2時半到着。こちらも久しぶりのアパートメントホテルなので、先日のことが無いように気をつけていたが、やはり予想通り誰もいなく鍵が開かない。もちろん、☎なし。偶然 中から住人が出てきたので、ラッキーとばかり飛び込んだ。事前通知のメールが開いたので、それに沿っていったら、鍵の隠し場所が見つかり、無事チェックインできた。滞在は1日のみ。地下鉄チケットを買い込み まずは 人気スポットプラハ城へ。地下鉄から降りて、途中ベンチでパンを食べ、そのままプラハ城見学。いろいろな場所を見学して、そのお城のすばらしさを満喫。そして、またまた人でごった返すカレル橋へ。明日の早朝ゆっくり来ようと決める。連絡が取れない国立マリオネット劇場へ行ってみたら、しばらく休演中とある。残念!! 一緒になった人が、スマホでどこかでやっていないか探してくれたが見つからず今回は諦めた(唯一の無念) 6時からの教会コンサート会場へ。5時半からネット予約した入場券を渡す業者が待てど現れず。スマホの証明書を見せても、受付の人は 入場券がないと駄目という。6時5分前になっても現れず、結局詐欺に遭ったか!! 受付の人に訳を話すと、運良く同情して入れてくれた。本当にありがとう。こうして、教会で バイオリン チェロ アコーディオンなどの管弦楽を十分楽しむ事ができた。その後 チェコのセルフレストランでそれなりの夕食(美味しくなかった9を食べ、ヘトヘトに疲れ果てて、ホテルへ戻る。今回の旅で、最高に疲れた1日であった。
6月25日(日)プラハからチェスキークロムルフへ
疲れたとはいえ、持ち前の貪欲さと欲深さで、朝になると元気になり、お茶を沸かして飲んで、5時半には、地下鉄やとらむを自由自在に乗り継ぎ、静かなプラハ市内やカレル橋を味わった。その後 ユダヤ人街を訪れ、じっくりとシナゴークを訪ね歩いて学んだ。11時には、プラハ市内をクルーズしながら 川の上から美しいプラハの街を見学した。既に 足は棒のように疲れ果てている。午後3時のバスでチェスキーへ移動するので、ホテルへは2時には戻らなくてはならない。(ホテルは 好意で2時過ぎまでチェックアウトOKと言ってくれた)。ホテルのそばで、スイカジュースとチーズソーセージブレッドを食べての昼食。あわててホテルへ戻り、荷物をパッキングしうて出発。いつもは、じっくりと点検して忘れ物チェックをするのに、今回はしないで出発。電車だったら、次の電車を手配できるが、バスはできないので、知らないバス停を目指して、地下鉄に乗る。車内で、チェスキーのガイドブックを忘れたことに気づく(忘れたというより、この次はウイーンだと思い、軽くするためにチェコのガイドブックを捨ててしまった)。まあ、これはスマホで調べれば良いだろうと諦めた。地下鉄を降り、バス停へ向かう途中、妻が スマホの充電器を持った? と聞いてきた。汗びっしょり、しっかりホテルのコンセントにつけたまま。充電が切れたらスマホは機能不全!! 何よりユーレイルパスの電車が乗れない 情報も入らない、ガイドブックもないのだから。いままで市内を歩いてきても、スマホや家電店などみたこともない。どうしようかと焦っていると、何と道路向こうに モバイルなどと書いてあるお店発見。もしかするとと飛び込むと、何とスマホショップ。2階の修理部品受付に行き、これに適合する充電ケーブルが欲しいと言うと、何やら引き出しをしばらく探ってきて、まさにドンピシャのケーブルを見せてくれた。本当にラッキー 天の助け!! こうして、3時のバスに安心して乗り込むことができた。午後6時チェスキークルムロフ到着。本日の宿も、アパ-トメント形式の自炊設備付きの貸し切り(日本で言うゲストハウス)部屋。過去二回苦労しているので、今回も覚悟して訪ねると、何と一階がお土産屋で、その上がホテル形式のアパートメントになっている場所。受付の人もとてもいい人。そして、USBのコンセントも貸してくれた。通された部屋は、何と!! 古城ホテル並みの室内、一番最上階の一番眺めの良い部屋。感謝感激あめあられ!!
一息ついた後、半径1キロ近い小さな街全体が世界遺産になっている街を散策。中世の世界にここでも迷い込んだよう。部屋があまりにも美しいので、スーパーで食料を調達して、夕ご飯の準備。ソーセージ サラダ ハム スープにヨーグルト パン のみものでの夕ご飯。素晴らしい部屋と窓からの景色を味わいながらの夕食。食後は、ライトアップされたマルクト広場へでかけ、野外のレストランで演奏されているバイオリンやチェロの演奏に耳を傾けた。時間は10時半。ヨーロッパの夜は長い。本日も、朝から晩まで充実した1日 。感謝。
6月26日(月)チエスキークロムルフにて1日
偶然にも、朝4時過ぎに眼をさますと、窓の外に見たことがあるような大好きな光景が広がっている。夜明けの姿、暗闇から白んでいく姿である。小鳥たちのさえずりの中、オレンジ色に空が染まっていく。教会の鐘、開け放した窓から冷たい空気が入ってきて、そして中世の家並みが映し出されて来る。思わずぐっすり眠っている妻を起こしてその美しさを伝える。しばらくその光景に浸りながら、お湯を沸かし、珈琲を飲みながら素晴らしい朝をゆっくり満喫した。今回の旅で初めてのゆっくりした朝かもしれない。そして、たぶん昼は賑わうであろうお城へ早朝から出かける。予想通り誰もいないお城をゆっくり散策。お城全体がだまし絵でできており、まさにレンガ造りのようだ。お城からは素晴らしい町並みが見下ろさせる。しばらく歩いて行くと、見事なイギリス庭園があり、秘密の花園のようなバラ園もあった。途中の古城のお堀には、クマが野放しで飼育されていた。朝の散策をしてお昼前にホテルへ戻る。なんと言っても、半径500メートルもいかない小さな街が世界遺産なので、どこへも気軽にいけるのである。隣にある人気レストランに行ってお昼の予約をしてからしばらく再び散歩に出かけ、お昼のレストランへ。室内に石窯のような薪をくべるグリルがあり、スライドできる網と鉄板があり、注文した肉は網で、もう一つの注文した魚は鉄板の上でグリルしてくれていた。興味深く、青ちゃんはこの薪グリルの前に張り付いて見ていた。大地の石窯を見ているようであった。お腹たっぷり食べてから、ホテルへ戻り一息ついた後、またまたマッチ箱のような中世に街へ出かけ、お土産を買ったり本を買ったり、もうここまで来たら担ぐしかないでしょ、と開き直り、遠慮無く好きなものを買う。夕食もレストランを予約しており、それまで素晴らしい部屋でくつろぐ。夕食は、川縁にあるテラスを予約し、ここからは、私たちの泊まる部屋が見ることができる最高の席を予約しておいた。シーザーサラダ ラザニヤ ポークカツレツ バニラアイスホットチョコレートビスタッチオ添え など旅の終盤を迎えて、美味しいものを頂く。この街最後の夜は、何度も散策しながら、そして 部屋でお茶をのみながら、美しい夜景を遅くまで満喫した。
6月27日(火) チェコに別れを告げて オーストリア ウイーンへ
本日の朝も夜明けの美しさを堪能しながら、残り物のパンやハム類でサンドイッチを作り、出発準備。本日は、最後の国オーストリアウィーンへ出発。早朝からウイーンの情報収集。秘かに妻の喜ぶウイーンの夜のコンサートを調べた。オペラ バレエ クラッシックコンサートなど。ここは、電車が来ていない街なので、どうしてもバスが必要になる。事前情報で、ウイーンまではダイレクトに乗合シャトルが安く出ていると言うことなので、ホテルの前まで迎えに来てくれるシャトルを予約しておいた。8時40分正確にタクシーが迎えにきた。お客を集めて、どこかで大きなバスに乗り換えるのかなと思っていると、どうやら直接200キロも離れたウイーンまで直接3時間ぐらいで行くらしい。こんな値段でこんな快適で良いのだろうか。別途料金を請求されたらどうしようと不安に怯えながら。運転手は、大学生のアルバイトらしく、あちこち裏道を通りながら話が弾む。自分の息子のような暮らしをしていて、山の話などで盛り上がり、すっかり打ち解けて、お互いに住所交換をして、親戚家族のようになって、今度日本に来たときは、ぜひ一緒に遊ぼうと盛り上がる。12時ウイーン西駅到着。ここから中央駅まで電車で移動。この駅は5つ位出口があり、予約しておいたホテルの方向がわからない。もちろんスマホがあれば簡単にいくだろう。さすがに、背中の荷物は25キロ近くになり、おまけに片手にもお土産がずっしり。ようやく巨大なホテル付近までたどり着き、自分たちのホテルのありかを尋ねる。すると、このホテルがそうだった。ウィーン市街の駅はミッテと言う駅で、こちらのホテルは格式が高いのが多く、近年は 中央駅付近にたくさんのホテルラッシュでできているらしい。その一つで近代的なラブホテルのような派手なホテル。だるい足を引きずりながら重い荷物を置き、チェックイン。ここでトラブル。予約が入ってないと。えー!! 最後に来てこれか!! スマホを開き、予約番号と画面を提示する。どこかに連絡を取りながら5分待ってくれと言いながら、ドンドン時間が過ぎる。再度問い詰めると、ようやくOKのサイン。ほっとして、自動ロック カードの部屋へ入ることができた。それでも、予想以上に素晴らしい部屋だった。最後の一泊2日のウイーン。地下鉄 トラム バス乗り24時間乗り放題の券を買い、早速街へ出かける。有名な国立オペラ劇場 ステファン寺院 王宮などを地元っ子のように移動手段を使い分け巡る。そして、夕方6時半からのコンサートを予約。オペラ バレエ クラッシックコンサートが全て味わえるもの。この街も重厚な建物が並ぶ世界遺産。どこを見ても格式高い建物、ホテルと言えば、ドアボーイが必ずいるような国賓級のホテル。そして、有名なカフェの数々。オーストリアのカフェ 有名なザッハトルテのケーキの国だからだ。妻は もうヨーロッパの食べ物は食べ尽くしたから、カフェでザッハトルテやケーキを食べれたら十分だと言っていた。秘かに、もちろん素晴らしいカフェを事前探索しておいた。コンサートまで時間がないので、スーパーでテイクアウトして、会場近くで食べて、いざ会場へ。満席に近い。バイオリン チェロ フルートピッコロ ドラム などが並び、とてもフレンドリーな雰囲気。堅苦しくなく、皆楽しそうに演奏している。演奏あり、そして オペラ歌手がソプラノ女性 男性アルトが歌い、この2人がオペラをシリアスに、そして コントをしたりする。更に 男女のバレリーナが登場して、こちらもオペラを演じてくれたり、会場と一体になり大いに盛り上がった。大地のお祭りを見ているようで、あっという間に時間が過ぎていった。最後の夜は、最高のクライマックスになった。足の疲れも楽しさで吹っ飛びながら、ホテルに帰るとバタンキューであった。
6月28日(水)ウイーンにわかれを告げて日本へ
最終日。最後の最後まで遊ぶ。本日の帰国便は夜7時半。空港まで30分なので4時過ぎまでウイーンを楽しむ予定。チェックアウトは12時で、荷物は夕方まで預かってくれるらしい。本日は、マリアテレジアやマリーアントワネットでおなじみのハプスブルク家のシェーンブルク宮殿を開館と同時に訪れること。ここも超有名な場所だからだ。朝6時に出かけようとロビーに行くと、朝食付きだったらしく、美味しい食べものがビュッフェ形式で並んでいた。どうせなら食べていこうと卑しい我々は、たっぷりと朝食を堪能し、妻は 本日は ケーキだけで何もいらないとつぶやいていた。地下鉄を乗り継ぎ、8時過ぎにシェーンブルク宮殿へ。日本語ガイド付きでゆっくりと見学でき、外の見事な庭園を満喫。10時前には大勢の人だかりとなる。すがすがしい庭園を満喫して、急いで市街へ戻り、王宮も見学して満喫。午後3時、BIO製品の素材で作るアイスクリーム屋を訪れ、アイスを堪能。残るは、ザッハトルテのカフェだけ。空港は6時過ぎでも大丈夫 道順は大丈夫だと計画して、予定通り、本格的カフェに入り、優雅にケーキを堪能した。ゆっくりした豊かな時間を最後の最後まで満喫した。5時過ぎにはホテルへ戻り、とんでもない重さの登山ざっぐを背負い、いざ空港へ。1時間遅れの出発。成田着予定では午後7時半。最終の新幹線に間に合うだろうか と心配になりながら、出国。帰りもワルシャワ経由。2時間足らずでワルシャワ着。1時間の待ち具合。帰りの便は混んでいないことを願ったが、満席。横三席いっぱいであった。長期間の疲れと12時間以上のフライト、最低でもビジネスクラスにしておけば良かったと思ったが、やはり質素に行かなくてはと思い直す。窮屈な時間を過ごしながら、予想外に午後6時過ぎに無事成田到着。バスで東京駅に移動。9時の新幹線に間に合った。夕食は、コンビニでいなり寿司とおにぎりとお茶を購入し、久しぶりの日本食に感動した。長野駅11時着。手配してもらった大地の自家用車で12時無事帰宅。
6月29日(木)
時差もあり、4時起床。そのまま、林檎畑 テニスコート 大地スロープ そして 自宅周囲の草刈りに汗を流し、12時 ご飯と味噌汁 納豆などを食べてから猛烈に眠くなる。夕方、大地へ行き、久しぶりにスタッフと再会。感謝とお礼を述べる。その後、夕食を挟んで、事務仕事を猛烈に行い、ほとんど片付いた。翌日は 1時半に眼が覚め、そのまま、このホームページ日記を13時間かけて作り終えた。
40周年記念旅行ができたのは、家族 元気な母親 信頼できるスタッフ そして保護者の皆さん 多くの周囲の環境のお陰だと深く感謝している。そして、何よりも、ずっと理解支えてくれている妻のお陰、妻への感謝の気持ちでいっぱいである。
無事帰国してみると、やはり40年前同様、貪欲に足を棒にして歩き回る姿は一緒であるし、まだまだ健在だと思う。そして、スマホが機能しなくて本当に良かったと痛感した。ガイドブックを片手に歩いている人には誰一人会わなかった。もちろん、道を尋ねている人もいなかった。お陰で、人との出会いや会話が弾んで、嬉しい言葉や良い旅を と励ましてくれた。変わらない 40年前と。電車が遅れたり、窮地に立たされたりしても、奇跡的に何とかなった それらは 本当にドラマになり、よい思い出となった。予想外の展開が豊かな体験となる。スマホ頼りでは、何事も計算通り進み、イレギュラーな体験が生まれず、それに対応できる行動も生まれにくいかもしれない。
40年前の旅の思い出も、イレギュラーな事ばかり。今回もとんでもないことが数々あったが、何よりも、大地の暮らし同様、朝から晩まで足を棒にして、好奇心いっぱいに貪欲に時間を融通して、動き回り、研究して、探索して動き回ったこと、相変わらず欲深いとお互い言いながら、疲れをものともせずに、毎日全力で走る続けたこと、まだまだ自分たちで企画していける と自信を深めて、毎年旅に出よう と気を良くしている2人。とにかく、妻は 旅に出ると、それも 空港に入った瞬間から外国へ向かうと、素晴らしくエネルギッシュになる。やはり若いときの経験や体験は大きい。
まだまだ世界を駆け回ろう!!