青ちゃんのプライベート暮らし
4月1日(火)から9日(水) 出雲大社1800キロの旅
4月1日(火) 大地から富山宮崎海岸 氷見 千里浜 芦原温泉泊 350キロ
怒濤のキャンプも全力でやり遂げ、充実感に浸りながら、出雲大社を目指すたびにでかける。久しぶりに、宿泊地や予定に振り回されない旅。自家製のパンやソーセージやベーコンや米 野菜 調味料などをたっぷり積み込んで、そして、渋滞 駐車場に困らないように、自転車を積み込み、朝5時出発。高速道路は使わない。今日の目指す地は、野外教室でよくキャンプしていた能登千里浜ドライブウェイ。直江津から日本海沿岸を走り、富山宮崎海岸で軽い朝食。氷見では、美味しい漁場市場でのお店で昼食。その後、千里浜ドライブウェイを走り、まだ日が高かったので、そのまま、山中温泉方面まで走り、今夜は、芦原温泉宿泊を決定。芦原温泉には、父親の時代からリンゴでお世話になっているお宅があり、連絡すると、すぐに来て下さり、芦原温泉の共同浴場で駐車しているキャンピングカーの中で、二時間ほど話が弾んだ。車内でスパゲティミートソース夕食を食べ、温泉に入り、芦原温泉近くで宿泊。
4月2日(水) 芦原温泉から福井 敦賀 舞鶴 豊岡 城崎温泉 余部鉄橋泊 300キロ
芦原温泉4時スタート。5時には敦賀着。若狭湾の小浜海岸は、妻が幼少期や高校時代によく訪れた場所。京都の海と言えば、こちらのようだ。思い出の海岸を見つけ、妻は、その光景を見て、亡き母と過ごしたことを思いだし涙していた。ここで、パンのモーニングを車内で。そして、豊岡で卵掛けご飯専門の卵を購入し、思い出の城崎温泉へ。城崎温泉も妻の母や夫婦でよく訪れた思い出の場所。こちらでは、まず、美味しいと評判のお寿司屋へ。人気の寿司ランチを楽しみ、そのままお寿司屋の駐車場を使っても良いという好意に甘え、城崎温泉共同浴場巡りをたっぷり楽しみ、車内で卵かけの夕食。その後、再び城崎温泉共同浴場、浦島太郎伝説の海岸を訪れ、暗くなった中、しばらく走り、日本最高の高い余部鉄橋下で宿泊。
4月3日(木)余部鉄橋から 鳥取 米子 松江 出西窯 出雲大社泊 200キロ
余部鉄橋四時発。鳥取砂丘へ行く事に決定。5時着。誰もいない夜明けを楽しみながら、砂丘を歩く。素晴らしいエネルギーを感じる。因幡の白ウサギ伝説の出雲の地にいよいよ足を踏み入れる。途中 地場のお店で、果物や野菜を仕入れ、鳥取米子へ。ここで、米子にお話の東京子ども図書館講習の同期生がいらっしゃる事を思い出し、連絡。そのまま、お宅に訪問。ここでも話がもりあがり、お互いにお話をしてのお話会を楽しんだ。お話一つで、こんな幸せな時を過ごせる事は、本当に幸せだ。別れを惜しみながら、松江へ。ギリギリの昼食で、境港の漁港にあるお店へ。たっぷりの地魚やカニを味わい、大満足。そして、出雲大社方面へ。近くにある出西窯へ。こちらは有名な窯元。妻の姉が若いとき修行していた窯元。妻も中学生の時、母親と一緒に訪れた場所らしい。ここで、素敵な食器類を購入し、夕方6時、出雲大社駐車場へ。場所を確認してから、すぐ近くの海岸で宿泊。夕食は、インスタントラーメン。
4月4日(金)出雲大社から石見銀山往復 日御岬 宍道湖泊 150キロ
石見銀山
日御岬
朝5時、出雲大社駐車場へ。いよいよ目指す場所へ。時間がたっぷりあるので、ゆっくりと境内を散策。いろいろ勉強しながら、ほとんど人のいない静かな雰囲気を味わう。たっぷり出雲大社のエネルギーを感じた後、ひとまず車内へ戻り、モーニングの朝食。その後、開店したお店や土産品店を周り、出雲蕎麦や出雲おぜんざいを味わった。娘が 出雲大社参道に面白いこけし屋さんがあるという情報を事前に教えてくれていたので、ここを訪問。娘が熊本地震災害でボランティアで一緒だった人がやっていると言う店らしい。その人はいなかったが、電話連絡して下さり、夕方、その人の工房(日御岬)を訪ねることに決定。
そして、午後2時を過ぎたが、石見銀山へ行くことに決定。ここでは、自転車のお陰で、三時間かかる行程を、一時間でたっぷり味わう事ができた。江戸時代の苦労、そして、人間の欲を痛感した。
6時半の夕日を目指して、再び出雲大社へ。ここで、娘の知人の工房へ。初対面で大いに話が盛り上がり、途中 中座して、日御岬の夕日へ。今回の旅で初めての夕日。その美しさに感動。その後、再び工房へ戻り、その間に、娘のために木の玩具を作って下さっており、娘へのお土産を渡された。年齢は70歳の人であったが、ソノハートとエネルギーに、他人ではない感動を覚えた。午後8時を過ぎて別れを告げ、そのまま走り、宍道湖を目指し、夜9時過ぎ到着。レトルトカレーの夕食。
4月5日(土)宍道湖から松江城 玉造温泉 松江大名行列 米子 鳥取 豊岡 但東町泊 230キロ
朝5時。自転車を駆使して、国宝松江城へ。朝の静かな桜満開のお城の雰囲気は最高であった。ここで、新たな情報。年に一度の大名行列が午後から行われるらしい。そこで、モーニングの朝食を車内で済ませ、午後までの間、宍道湖湖畔の玉造温泉共同浴場で温泉を楽しみ、再び松江城へ戻り、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の美術館を見学。最高の美術館であった。そして、午後2時位から、沿道でたっぷり大名行列を楽しんだ。昼食を食べ忘れているので、簡単なトーストを食べ、再び、鳥取方面へ車を走らす。途中の漁場のお店で夕食。この時、明日から3泊する定番常宿の山中温泉から電話。何と、今晩からのチェックインだったらしい。さすがに遠すぎるので、結局、山中温泉は2泊と言うことのなった。そこで、明日には、山中温泉近くまで行かねばならないので、夕食後頑張って車を走らせ、舞鶴近くまで走り宿泊。
4月6日(日)但東町から舞鶴 敦賀 福井 恐竜博物館 山中温泉泊 230キロ
朝4時から車を走らせ、9時には福井の恐竜博物館へ。平日なのに、人出が凄い。約三時間博物館を楽しみ、昼食は 福井市内の生牡蠣のお店へ。妻が一番楽しみにしていたお店。マスターも雰囲気も料理も味も素晴らしかった。毎年、こちらへ来るので、ここも定番のお店となったほど、素晴らしかった。そして、午後3時には、山中温泉常宿へ。着いて早々、パソコンを開き、新年度準備へ。ここでも、必ず訪れる食事処が有り、月火とお休みになるということなので、急遽夕食へ。居酒屋を兼ねているような食事処であるので、お刺身やつまみが美味しく、ほとんどの人は飲みながら味わっているが、私たちは、ひたすら食べるのみ。本日は、たっぷり食を楽しんだあと、久しぶりにベッドで眠る。
4月7日(月) 山中温泉逗留 夜明け前から一日中新年度準備
夜明け前からパソコンに向かい、新年度準備。10時位に一息ついて、鶴仙渓にお弁当を作って散策。川 コケ 山野草 桜 と素晴らしい景色の散策道。お土産を見たりしながら、束の間の休息を味わい、午後も新年度準備。ようやく夕方には、めどがついた。この頃から、妻は お腹の状態が悪くなり、何かにあたったかもしれないと思い、早めに就寝。
4月8日(火)山中温泉から28期お話の友人かいばみ文庫訪ねて 宮崎海岸泊
朝はゆっくり眠り、洗濯をしたりして、11時チェックアウト。妻のお腹の調子は今一歩。どうも軽い胃腸炎らしい。熱はなし。車の中でゆっくり休みながら、本日は 宮崎海岸で宿泊予定にする。金沢をすぎ、ナビを入れて下道を走らせていくと、いつもと違うルートへ。気がつくと、いつか走ったような記憶の道。ここでも、東京子ども図書館28期のお話同期生がすんでいる地域だと思いだし、即電話。何と、車で2分の所に駐車して電話していることに気づき、即訪問。67歳で文庫を始め、70歳を超えて、夜行バスで毎月東京子ども図書館講習会に通われていた伝説の方である。85歳を超えてもお元気で、再開できて本当に幸せであった。しばらくお茶をごちそうになり、別れを告げて、夕方宮崎海岸へ。妻のお腹はもう一歩である中、うどんとかれーの夕食をすませ、雨の中宿泊。
4月9日(水)宮崎海岸 朝日町三重奏 宮崎海岸 関川テラス 大地帰宅
旅の最終日。天気予報通り、朝10時頃から素晴らしい天気となる。朝日町の有名な四重奏(桜 チューリップ 菜の花 そして白い立山連峰の山々)を見に出かける。平日なので、混雑は大丈夫かとたかをくくっていたが、とんでもない大混雑。すぐに自転車を降ろし、乗り換えて、四重奏を楽しんだ。その後、晴れ渡った宮崎海岸を散策し、石を拾ったりしながら、直江津へ。旅の最後の食事は、素晴らしいイタリアンのランチ。ランチギリギリの時間に飛び込み、ゆったりとした食事を楽しみ、夕方5時、無事大地へ帰宅。
予定のない旅を久しぶりに楽しんだ。それでも限られた期間の中、中身の濃い欲張りな内容をコーディネートする楽しみ、それは、特に、人のいない静かな朝を楽しむことを一番に考えた。これも、日常の暮らしであるが。お陰で、渋滞も混雑もなく、その分、内容たっぷりの旅を満喫できた。食事は、その地方の名物を、1日1回、それも、ランチを楽しむことを基本に、それ以外は、シンプルを心がけた。
久しぶりに予定の決まっていない旅、人との出会い、興味のある場所やひととの展開 など、本当に楽しんだ旅であった。
妻の体調も、軽い胃腸炎であったらしい。
余談!!
10日の夕食後、青ちゃんの腹の調子がおかしい。深夜 ボールいっぱいに吐いた。そして、11日夕方発熱。38度越え。そして 深夜汗をかいて、12日朝には、熱が下がり、再び好調に戻った!!