青ちゃんのプライベート暮らし
3月23日から4月3日家族6人インド放浪記
3月22日(火)一足先に3男が東京のシェアハウスに引っ越したため、この部屋に家族に家族5人深夜に押しかけて宿泊。翌日朝早く成田へ向かう
3月23日(水)デリー
成田空港に9時着。旅慣れた長男のおかげでスムーズに搭乗。11時過ぎに日本を離れ、時差3時間半のデリーへ、夕方到着。雑踏と混沌そして人人人、ゴミゴミゴミ、匂い匂い匂いのデリーへ見事に一歩を印す。長男の馴染みのゲストハウスへ無事チェックインした後、マーケットへ出かけ、インド料理やおやつを堪能した。予定では、今晩または明日早朝にバスで、ヒンズーの聖地 ホリドワールそしてヨガの聖地リシュケシュへ移動する予定であったが、幸運にも、明日は、国民的行事ホーリーという色水をかけあうお祭りということで、移動困難、町へ出るだけで大変なことになるということで、出発は、明日午後となった。明日のお祭りが楽しみ。
3月24日(水)ホリドワール
噂通り、ホーリーの祭りはすごかった。町を歩くだけで、すれ違う人、2階やあちこちから、いきなり色水や水の袋、水風船などが飛んできて、また色の粉をすれ違いざまに塗りつけられる。あっという間に全身がカラーに染まる。そして、水で洗っても、簡単には取れない。2時過ぎまでお祭りが収まるのを待って、バスターミナルへ逃げるように移動して、次なる場所、ガンジス川の聖地ハリドワールへ向かった。到着は、夜7時過ぎ。ゲストハウスを見つけ、沐浴のガンジス川のほとりを散歩して就寝。明日の沐浴場が楽しみだ。
3月25日(金)リシュケシュ
早朝からハリドワールのガンジス川の聖地の沐浴場へ向かう。大勢の人々が聖なるガンガーで沐浴をしている。何年もお金を貯めて、家族でこの聖なる場所へ来るのが一生の夢であるという。信仰とそのエネルギーがみなぎっている。そのエネルギーを半日ほどじっくりと味わい、午後、ヨガの聖地リシュケシュへ向かう。ガンジス川を渡し船で渡り、アシュラムというヨガの宿泊施設に向かうが、あいにく満室であり、ゲストハウスに宿泊。連日、6人一緒に泊まれる部屋なので、家族一体で盛り上がる。
3月26日(土)リシュケシュ
朝から御隣のアシュラムへ向かい、家族全員でヨガレッスンを受ける。大きな道場に40人ほど集まり、いきなり英語でのレッスンが始まる。日本で受けていたヨガの強力版といった感じで、休みなくヒーヒーと悲鳴を上げるぐらいきついものであった。最後は貧血気味となる。家族全員、ふらふらとなった。午後は、熱くなってきたので、ガンジス川で沐浴。水遊びに興じる。聖なるガンガーでゆっくり過ごす。
3月27日(日)リシュケシュから夜行バスでダラムシャラへ移動
午前中は子供たちはガンジス川に沿って歩いてきた。夫婦はホテルで静養。午後から夜行バスでチベット自治区ダライラマの住むダラムシャラへの長旅が始まる。初めての長距離夜行バス。リクライニング付きの決してきれいではないが、なんとか眠れそうか。日が暮れ行くインドの車窓を楽しみながら、夜行バスを楽しむ。うとうとしながら、深夜のドライブインでの夕食を食べながら、無事、朝5時ぐらいにダラムシャラへ到着。
3月28日(月)
早朝に着いたダラムシャラの中心街マクロードガンジーへ行き、チャイなどを飲み、朝のマーケットで過ごす。そして、以前長男が泊まったというチベット寺院の宿(宿坊)のゲストハウスへ朝8時ぐらいに行って、運よくチェックインできた。ガイドブックには載っていない知る人ぞ知る宿泊施設。この旅最高の施設であった。その寺院には、チベットのラサの復興(チベットの悲惨な歴史)を手掛けている有名な人と出会い、寺院の中や歴史、貴重な建造物を見せていただいた。その後、ダライラマの住む寺院や公邸で、チベット仏教の歴史や自治区の現状などを学ぶ。夕方は明日のヒマラヤトレッキングの準備をする。
3月29日(火)
待望のヒマラヤトレッキング。標高差1000メートル標高2900メートルを目指す。インドへ来て、ヒマラヤを見れるなんて幸せである。最高のトレッキングの道を歩いていく。ずっと野良犬2匹が道案内をしてくれる。インドの山並みを見ながら歩き続けること
4時間、目の前にヒマラヤ5000メートル峰が見事に現れた。ものすごい感動。この美しい景色を見ながら1時間ほどゆっくりとお昼寝。最高の時を過ごした。午後も無事下山。町へ戻ってきてから、床屋で顔ぞりをしたりお土産を買ったりして、快適な宿坊へ戻る。食事は、ベジタリアンの長男は、インドへ来てからずっとターリーなどのカレーを大喜びで食べている。ここでは、チベット料理を満喫していた。
3月30日(水)シーク教徒のアムリトサルへ移動
チベット寺院に別れを告げ、2つのローカルバスを乗り継ぎ、200キロ離れたアムリトサルへ移動。地元の人たちと一緒に一般道を古いバスに揺られながら8時間。大都市アムリトサルへ夕方到着。ものすごい人にあふれている。シーク教徒の聖地にある黄金寺院。たくさんのシーク教徒が巡礼に24時間押しかけている。その雰囲気、聖地の持つ雰囲気に圧倒される。寺院のドミトリーは満室なのであきらめ、近くのゲストハウスにチェックイン。この夜は、ずっと黄金寺院の雰囲気で過ごす。
3月31日(木)
早朝から黄金寺院へ。ここのすごいところは24時間巡礼の人たちでごった返していること。更に、映画聖者の行進で知られる、1日10万食の食事を24時間、無料で誰にでも提供していること。チャイも同時に24時間無料提供。食事の仕込から10万食分の皿洗いなども手作業で多くの信者たちが24時間笑顔で行っていた。この精神の背景、などを少しでも味わうために、図々しく、皿洗いやチャパティ焼きに参加させていただいた。大きな講堂に一気に1200人ぐらい入り、それぞれ入り口でいただいたお皿に、好きなだけチャパティやカレーを入れていただいた。とにかく、その深い精神に心打たれた。本日ずっと黄金寺院で過ごす。夕方、インド独立の契機となったアムリトサル大虐殺の現場を訪れ涙した。本日から寺院の外国人専用ドミトリーへ宿泊。窓もない牢獄のようなベッドの並ぶ雑魚寝のような雰囲気で、バックパッカー専用の若者宿に混ざり、我々夫婦は見知らぬ人たちと雑魚寝して楽しんだ。
4月1日(金)引き続きアムリトサル パキスタン国境を味わう
今日も早朝から黄金寺院の雰囲気を味わう。いつ行ってもたくさんの信者たちが祈っている。大きなホールでいろいろな人たちと仲良くなり、特に子供たちと遊んだりわらべうたをやったりして盛り上がる。チャパティのバター塗や皿洗いなどを今日も一緒にやらせていただいた。夕方から約1時間ほど車を走らせ、パキスタン国境の町へ行く。印パ戦争の歴史の中、現在平穏関係が続いているだけに、この国境も現在平穏状態。夕方の両軍による国境閉鎖セレモニーは、今や、名物になっており、大勢の両国の見学者でにぎわっていた。ただ緊張状態になると、お互いの軍の一発触発となるらしい。国境の雰囲気をつくづく感じた。夕方戻り、再び黄金寺院の最後の夜を味わう。
4月2日(土)電車にてニューデリーへ
名残惜しく、朝から聖者たちの食卓と黄金寺院の精神に別れを告げ、新たな思いと決意のもとで、アムリトサルに別れを告げる。インド初めての電車の旅。数か月前からの予約が必要なほど電車の人気は高いが、長男のおかげで乗ることができた。エアコンなしの2等寝台。庶民の暮らしがわかる車両で、ありとあらゆる物売りがやってくる。物乞いの人たちまで。窓から眺める景色は、まさにインドの雑踏、貧困、世界を感じる8時間の旅となった。30分遅れての奇跡的なデリー到着(10時間18時間遅れることはざら)。初日に泊まったゲストハウスの隣の宿にチェックインして、インド最後の夜を楽しむ。
4月3日(日)デリーのガンジーの世界を味わい、夜日本へ
インド最終日。インドはガンジーを抜きにしては語れない歴史がある。デリーにあるガンジー関係の博物館等を精力的に回り、その深い人間性に家族全員心打たれ、新たな気持ちが盛り上がった。最後は、南インド料理を満喫して、インドの最終日が終わる。夜10時、インドを飛び立ち、翌朝7時半日本到着。とても近く感じたフライト。日本は桜満開。こうして、青山家6人のインド旅行は無事終了した。兄弟4人、末2名は、3年間の専門学校へ進むが、この旅インドでどう感じたか。長男は、京都へ直行して、再びビバッサナー瞑想へ。娘は大地での新しい生活。そして私たち夫婦は、新年度へ向けて。それぞれ、深い思いと感銘を胸に、旅立つ。