おわりに

終わりまで読んでくださってありがとうございました。この内容は、30年間、幼児の世界に浸り、常に、子供サイドにたち、幼児自身から見た大人世界への眼ベースに、述べてきたことをまとめたものです。

幼児に対する予備知識、理論、方法論などは、事前にはなく、真っ正面から乳幼児と向き合い、相手を探り、時には、振り回され、時には、懐に抱き込み、その都度、最善の環境を与えたつもりが、赤面するぐらいのもの(今から考えると)であったり、まさに、波瀾万丈の理論と実践の30年間でした。

ただ、一つだけかたくなに信じ、守り、実践してきたことは、常に、出会う、眼前の子供が、自分だったら、このおじさんにどんなふうにしてもらったらうれしいだろう と眼前の子供を自分に置き換えてきたことです。

今、この瞬間に、こんなことを言われたら、こんなまなざしを向けられたら、こんな遊びを提供されたら、こんなほほえみを向けられたら・・・・・・・・・・・

私はどんなにうれしいだろう、そんなうれしさだけを考え、提供しようと、目の前の子供を見てきました。

そして、子供達は裏切りませんでしたし、私も、彼らの心に対し、裏切りも、失望もさせませんでした。しかし、その間、どれだけ、本当にこれでよいのだろうか、その時々だけ楽しければ良いのだろうかと思うようになったのです。麻薬のように、その瞬間だけ楽しくて、一時の快楽だけで、そのトータルな先の未来を見つめて、今の瞬間を大事にとらえているのだろうかと、思い悩みました。

日本の教育は、幼稚園は幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と、それぞれの枠を大事にして、そこにいる教師も、自分のテリトリーだけの専門で、枠外の教育には疎かったり、また、お互いに踏み入れてはならない暗黙の了解があるように感じます。教育は、人間のトータルな育ちを、人間を通して行っていくものですから、幼稚園の教師は、小中高の姿をみて、そのために、この基礎時期にこれをしなくてはならない、と考え、中高などの教師は、今の姿は、幼児期のそこから発生していることなんだなどの、フィードバック出来ることを学ばない限り、人間のトータルな成長よりも、その部分だけの細切れ的な、単発的な教育に終わってしまうと感じました。

こんな時期に出会ったのが、シュタイナー教育理論でした。生まれてから、21歳までの育ちの姿と、その時期における課題、関わり等を、きれいにスマートに示してくれたのです。そして、様々な教育理論の美味しいところだけを取り入れ、里山教育と融合させて、大地独自の教育を展開しています。

悩んでいた子供の育ち、幼児期の課題、どんな理念を持って、どんな将来像を見据えて、今の基礎期を考えていけばよいか、ストンと心のどこかにうまく納まったのです。それからは、子供に振り回されるのでなく、子供の本性を尺度に考えると、何もかもが、うまく穏やかに回っていきました。そこで、とても、安心し、幼児期の私のやるべき課題が鮮明になり、自信と誇りと責任が強く生まれてきました。

そして、今の姿が現れてきたのです。今、ここにいる子供達の未来の姿が私には見えます。人間は、将来像がイメージできれば(目標が見えれば)、計画が立てることができます。この時期までにこれをしよう、これはやめておこうなどと言うことも。

まさに、教育も、同じで、何歳にこんなことをしよう、これは、この育ちを阻害するものであるから、遠ざけよう と1つ1つ整理することから始まりました。

今回は、幼児の本性を書かせていただきました。

以前の私と同じように、子供の将来像が見えない、様々な一時的情報、スポット的情報に惑わされ、何をして良いかわからない、逆に、あれこれやりすぎて、まとまりがつかないなど、お悩みの方が増えていると聞きます。

そんな人たちが、すこしでも、心の棚が整理出来、眼前の妖精達と共に、私たちが、穏やかで幸せな時を過ごせる羅針盤に、このページがなれば幸せです。

あなた自身に、神様がもう1度、幼児期をプレゼントしてくださるとしたら、どんな世界で、どんな人たちと、どんな遊びをして、過ごしたいですか。